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2010年6月 1日 (火)

サミット感想「愛国主義インターナショナルから小沢問題まで」

 5月23日の「第二言論サミット」が終了してから、24人の発言者のなかにはブログやメーリングリストなどで感想やら意見をかいてくれる人がけっこういる、また一般参加者の報告もあるので少しずつ紹介していきたい。今日は、『プランB』編集長の村岡到さんの投稿だ。

 林さんはじめスタッフのひとたち、参加された方々、昨日はありがとうございました。

◇発言者に点数をつけるやり方

 いろいろ新しい出会い、発見もあり、楽しくもありました。

 作っている雑誌『プランB』を翌日印刷屋に入れるために二次会は欠席しまし
たが、急いで駅のホームで電車を間違え、行き先の表示を見ていたら、そこに
立っていた青年がドジなおじさんだなという感じで笑っていたので、「間違えて
しまった」と言ったら、「さっき話した人ですね。面白かったですよ」と声を掛
けてきた。

 アララ、集会参加者だった。「場所がもっと便利なら、ロフトなら……」というので、「ロフトに行くの?」と聞いたら、「鈴木邦男さんをよく聞きに行く」ということだった。

 集会直後だから、こういうことがあってもおかしくはないのだろうが、それで
も滅多にあることではない。ドジのおかげで、私の発言に対する反応の一つが分かった。

 6分×24人の発言というのは初めての試みだろう。アンケートを取って24
人の発言に点数を付けて、上位5人の話をさらにじっくり聞く集会をやるのも一
案だろう。「じっくり聞きたい5人」をあげてもらってもよい。

◇愛国主義インターナショナル&共産党委員長初訪米

 集会では、私の発言でも述べたように、第2部の6人の話(「反戦、街へ)というテーマ)が新鮮で面白かった。

 発言では触れなかったが、モスクワで「世界愛国者会議」が開かれ、日本から一水会が参加、対して、共産党の志位委員長が初訪米してアメリカの議員と懇談、――この二つを対極的事象として、話を始めた一水会の木村三浩さんの話も面白かった。

 開会前に、発言者が集まったときに、鈴木さんが私に木村さんを紹介してくれ、木村さんが「モスクワから今朝帰ったばかり」と話し、「世界愛国者会議」と言ったので、私が「愛国主義インターナショナルだね」と応じたのである。

 鈴木さんは「左翼のインターナショナルはなくなった」と発言したが、ベネズエラのチェベス大統領らが「第5インター」を呼びかけているようだ。

◇いわゆる小沢一郎問題と政治謀略・政治弾圧

 一つだけ、異論を。民主党政権が成立して、その成立に困っている部分が巻き返してなんとか、という発言があった。動あれば、反動ありで、何の不思議もない動きであるが、その反動的策動を「国家権力が何とか」と言い出すと話が脱線するのでは。

 ではどうして、小沢一郎は、また「不起訴」になったのか? 起訴=弾圧が「国家権力の意志」だとすると、市民が11人も入ってやる検察審査会のほうが国家権力ということになる。そうなると「不起訴」の特捜は何なのだ?

 もし、「国家権力の意志」が民主党政権反対・粉砕というのであれば、どうして、民主党政権は誕生してしまったのだろうか? それとも「国家権力の意志」
は一回の総選挙で貫徹できなくなるほど弱いものなのか。

◇誰と誰が、どこでどうやって「国家権力の意志」を形成しているのか

 一体、「国家権力の意志」なるものは、誰と誰がその実体で、どこでどうやってその「国家権力の意志」を形成・決定しているのか、その仕組みを明らかにした説明を読んだことがない。

 この文脈での「国家権力」とは、税金を納める相手が「国家(権力)」だというのとは違う。国家にとっての最重要な意志決定のレベルでの問題である。

「強大な国家権力が悪さをしている」という「お話」は当たっていないことのほうが多い。政治は、さまざまな力が複合的に働いて動いているのであり、その欠かせない重要な一つの決定的な力が世論だと考えたほうがよい。

 だから、世論をどう形成するかが重要になり、第四の権力と言われるマスコミの力が大きく、責任も大きい。「マスゴミ」とからかったからと言ってそんな言葉遊びでは大した力を及ぼすことはできない。

 検察審査会というこれまでほとんど聞かない司法上の機関、その役割をどう評価するかも大きな問題だ。2度、11人の内8人が「起訴相当」と判断したら、
起訴するという仕組みは、私は悪くないと考える。

 検察審査会の判断と検察庁の判断にズレがあってもおかしくはない。判断基準が異なるからだ。そのズレが、現実と法律との乖離を正す契機になればよい。だから、この点では、日本共産党が検察に「市民目線に立て」と要求するのは、法律を無視してもよいとそそのかしていることになる。

 小沢は、法律はすり抜けているのであろうが、自身の「政治とカネ」について道義的政治的責任を負っていることは明白である。政治主張のレベルで見ても「日本では小選挙区制がよい」という、反民主政の確信的主張
者である。衆議院比例区80,参議院比例区40減らせと主張している。

 長くなるので終わります。

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◇以上、村岡到さんのメーリングリストへの投稿を紹介した。後半の「いわゆる小沢一郎問題」は、私(林克明)は、アンシャン・レジーム旧体制の人たちの連合による政治弾圧(もしくは必死の抵抗)だと思っている。その主力部隊が大モス込になっているからこそ、今回の第二言論サミットを呼び掛けたのだ。

 普通弾圧は権力機構が反体制派の弱い部分(たとえば少数でうるさいやつ)を狙う。いま起きているのは、権力機構のトップ同士の争いなので、資本主義の支配層が共産党を弾圧するという分かりやすさがない。それだけである。

(林 克明)

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